グランドスラム(2) 1992年。雑誌に告知を出していた草創期。
現在は充実した活動を送っているグランドスラム。では、設立当時はどのような形だったのだろうか?そもそもどんなきっかけで設立されたのだろうか?12年前の設立秘話について、脇屋会長にお聞きした……。
(2017年7月に一部修正しました)
【設立のきっかけ】
グランドスラムが設立されたのは1992年。脇屋会長が「クイズサークルをやってみよう」と思い立ったのがきっかけ。当時クイズ王番組などが流行していた時期だったが、脇屋会長はどちらかというと「仲間うちでクイズを楽しむ」ことを念頭に置いていた。
「QA(総合雑誌)」「パズラー(パズル雑誌)」などにクイズサークルの結成の告知を出したところ、スタート段階で11名が集まる。記念すべき初会合は、クイズ…ではなく、高田馬場の「清龍」(スペースが広いので、クイズイベントの打上げによく使われた飲み屋)での飲み会。ここからグランドスラムの歴史が動き出すことになる。
【会員募集】
活動を続けながら、会員募集を積極的を行っていった。(当時存在した)電話での情報提供媒体なども使ったが、中心となったのは雑誌。特に効果があったのはパズル雑誌「パズラー」(当時はパズルだけではなく、クイズにも力を入れていた)。また、就職情報誌「フロムエー」「an」や、サークル・個人が情報を発信する雑誌「じゃま~る」などにも告知を掲載。
≪中野亨さんの場合≫
「アタック25」の2003年度年間チャンピオン、その圧倒的な勝ちぶりと「ナナメ取り」に代表される戦略から「強すぎる男」と新聞のテレビ欄に書かれる程の大活躍を見せた中野亨さん。彼がグランドスラムに参加するきっかけになったのも「じゃま~る」であった。
ただし、中野さんがグランドスラムの告知を見た…わけではない。当時の「じゃま~る」には「クイズをやってみたい」という方からの情報が掲載されることもあった。中野さんも「じゃま~る」に問い合わせ情報を掲載(1998年年末に放映されたテレビ番組「20世紀クイズ王」を見てクイズサークルに興味を持ったとのこと)、それを見た脇屋会長が中野さんにコンタクトしたことが、入会のきっかけとなった。
≪田中佐喜雄さんの場合≫
テレビ番組「天」やクイズイベント「Quiz Road Cup」などで活躍する強豪・田中佐喜雄さん。彼が入会するきっかけとなったのは、「アタック25」。予選会場で知り合いになった小倉剛さんに勧誘され、グランドスラムに参加するようになったという。
このように、直接グランドスラム会員と知り合いになったことが入会のきっかけとなることも多々あった。
【設立当時の活動】
現在は公共施設で活動を行っているが、設立当時はそのような施設があることを知らなかった。そのため、喫茶店チェーン「ルノワール」の談話室で活動していた。当時はまだ早押し機は市販の「早押しピンポンブー」を使用、問題についても市販本を読みあうのがメイン。
当時の活動では参加人数が3人しか来ないようなこともあったが、会員募集や定着がうまくいったこともあり、現在まで活動を続けてくることができた。
【メディアへの露出】
会員がクイズ番組に出ることも多く、出演が決まると対策会を開くことも多い。優勝を果たしたTBSテレビ『天(10)』に出演してからは、諸方面から問題作成や番組出演のオファーがあった(トーク番組『三宅裕司のドシロウト』なども)。ただ、かつて『クイズ赤恥青恥』にサークルとして出演した際には「正解と誤答の2パターンを撮影」「登場はウルトラクイズのテーマ」などの演出に辟易した。
すべての依頼を受けるわけではないが、メディアに出たい人には力強いサークルかもしれない。
【文責:神野芳治】
【グランドスラム】
(1) 「ジュース買いに外に行って帰ったらもうクイズが始まってた」
(2) 1992年。雑誌に告知を出していた草創期。(当記事)
*当記事は、2004年発刊の雑誌「Quiz Park」vol.1に掲載した記事をベースに、2017年に一部修正・追加したものです。
https://quiz-schedule.info/quizdo/?p=165https://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2017/05/book_zasshi_tana.pnghttps://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2017/05/book_zasshi_tana-150x150.png“やる”クイズリポートサークルリポート・一般現在は充実した活動を送っているグランドスラム。では、設立当時はどのような形だったのだろうか?そもそもどんなきっかけで設立されたのだろうか?12年前の設立秘話について、脇屋会長にお聞きした……。 (2017年7月に一部修正しました) 【設立のきっかけ】 グランドスラムが設立されたのは1992年。脇屋会長が「クイズサークルをやってみよう」と思い立ったのがきっかけ。当時クイズ王番組などが流行していた時期だったが、脇屋会長はどちらかというと「仲間うちでクイズを楽しむ」ことを念頭に置いていた。 「QA(総合雑誌)」「パズラー(パズル雑誌)」などにクイズサークルの結成の告知を出したところ、スタート段階で11名が集まる。記念すべき初会合は、クイズ…ではなく、高田馬場の「清龍」(スペースが広いので、クイズイベントの打上げによく使われた飲み屋)での飲み会。ここからグランドスラムの歴史が動き出すことになる。 【会員募集】 活動を続けながら、会員募集を積極的を行っていった。(当時存在した)電話での情報提供媒体なども使ったが、中心となったのは雑誌。特に効果があったのはパズル雑誌「パズラー」(当時はパズルだけではなく、クイズにも力を入れていた)。また、就職情報誌「フロムエー」「an」や、サークル・個人が情報を発信する雑誌「じゃま~る」などにも告知を掲載。 ≪中野亨さんの場合≫ 「アタック25」の2003年度年間チャンピオン、その圧倒的な勝ちぶりと「ナナメ取り」に代表される戦略から「強すぎる男」と新聞のテレビ欄に書かれる程の大活躍を見せた中野亨さん。彼がグランドスラムに参加するきっかけになったのも「じゃま~る」であった。 ただし、中野さんがグランドスラムの告知を見た…わけではない。当時の「じゃま~る」には「クイズをやってみたい」という方からの情報が掲載されることもあった。中野さんも「じゃま~る」に問い合わせ情報を掲載(1998年年末に放映されたテレビ番組「20世紀クイズ王」を見てクイズサークルに興味を持ったとのこと)、それを見た脇屋会長が中野さんにコンタクトしたことが、入会のきっかけとなった。 ≪田中佐喜雄さんの場合≫ テレビ番組「天」やクイズイベント「Quiz Road Cup」などで活躍する強豪・田中佐喜雄さん。彼が入会するきっかけとなったのは、「アタック25」。予選会場で知り合いになった小倉剛さんに勧誘され、グランドスラムに参加するようになったという。 このように、直接グランドスラム会員と知り合いになったことが入会のきっかけとなることも多々あった。 【設立当時の活動】 現在は公共施設で活動を行っているが、設立当時はそのような施設があることを知らなかった。そのため、喫茶店チェーン「ルノワール」の談話室で活動していた。当時はまだ早押し機は市販の「早押しピンポンブー」を使用、問題についても市販本を読みあうのがメイン。 当時の活動では参加人数が3人しか来ないようなこともあったが、会員募集や定着がうまくいったこともあり、現在まで活動を続けてくることができた。 【メディアへの露出】 会員がクイズ番組に出ることも多く、出演が決まると対策会を開くことも多い。優勝を果たしたTBSテレビ『天(10)』に出演してからは、諸方面から問題作成や番組出演のオファーがあった(トーク番組『三宅裕司のドシロウト』なども)。ただ、かつて『クイズ赤恥青恥』にサークルとして出演した際には「正解と誤答の2パターンを撮影」「登場はウルトラクイズのテーマ」などの演出に辟易した。 すべての依頼を受けるわけではないが、メディアに出たい人には力強いサークルかもしれない。 【文責:神野芳治】 【グランドスラム】 (1) 「ジュース買いに外に行って帰ったらもうクイズが始まってた」 (2) 1992年。雑誌に告知を出していた草創期。(当記事) (3) 「としまえん内でクイズを決行したこともあります。」 (4) 「応援できる・される仲間がいるっていいな」 *当記事は、2004年発刊の雑誌「Quiz Park」vol.1に掲載した記事をベースに、2017年に一部修正・追加したものです。quizdo quizdo2017@gmail.comAdministratorQuiz Do