学生時代はクイズをやっていたけど、社会人になってクイズから離れてしまった……。
そんな人でも、たまに集まったり、飲んだりすることがある。
その一つのきっかけになるのが「OB・OG会」です。今回はOB・OG会でクイズをやっている例として、KQK(慶應義塾大学)三田会の山本匡人代表幹事に話を伺いました。

――山本さんがクイズを始めるきっかけについてご教示ください。

幼少のころからテレビっ子で、朝から晩まで勉強をせず、テレビを見続ける毎日でした。生まれ故郷の関西では、バラエティ番組が多く放映されており、クイズに親しむ環境にはありましたが、衝撃的だったのは小学校5年生の時に見たNTV系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第2回大会2週目の放送です。何気なく眺めていたテレビから、雄大なアメリカ大陸で繰り広げられる笑いと涙の戦いを見て、大人になったらこの番組に絶対出場すると決めました。それから友人と集まって、定期的にウルトラクイズ“ごっこ”をやっていましたね。毎回毎回、私が優勝……。

慶應義塾大学への入学(1986年)を機に、晴れてクイズ研究会(KQK)に入会しました。でも、当時のKQKは自分が望んでいた場所ではなかったです。クイズ研究会なんて名ばかりで、麻雀と酒の日々。そんな環境を毛嫌いしつつも、いつしか自分も流されていました。
改めて、クイズに本格的に力を入れたのは、サークル活動の運営の立場から退いた大学4年生になった時です。社会人になると自分の時間を作ることは、中々難しいだろうと思い、一念発起しました。それから、サークル内最強決定戦である「タスキ杯」に優勝し、バラエティ系のテレビ番組に出場することが増え、何度か優勝することができました。もう少し、早く目覚めていれば、今でいうところの“競技クイズ”で活躍できていたかもしれません。

結局ウルトラクイズでは、東京ドームのグラウンドに降りるのが精一杯で縁がなかったです。自由の女神から、お叱りをいただいたということでしょう。クイズに本格的に取り組んだのは、卒業までの1年弱くらいの期間のみで後は、その時蓄えた遺産を食いつぶして、クイズ番組に出場してはいました。

総会の様子(ベテランOBOG)。一番左が山本さん。最近でも『アタック25』『連続クイズ ホールドオン』に出演されているが、何といっても『地下クイズ王』への出演でおなじみ。

―山本さんが三田会に携わるきっかけは、どんなところだったのでしょうか?

私が大学に入学した年に、KQKは結成5年目を迎えOBOG会が発足しました。先輩の2-3年が、自分達の卒業後にも塾生(慶應では学生と言わず“塾生”と呼びます)時代の仲間との繋がりを持っておきたいと考えて、発案したようです。何のために開催するのか、多くの塾生にはその意義が理解できず結成までにはそうとう揉め、喧嘩もあり当時の雰囲気は最悪でしたが、何とかその年の12月総会を開催するに至りました。場所は、表参道にある青学会館、会費1万円でドレスコードありという格調の高さでした。
塾生(現役生)からの発案ですので、当時OBOG会の運営は塾生が担当していました。毎年10月には、OBOG会の“会報”が送付され、12月開催の総会についての案内も届いていました。卒業してから2年続けて総会に参加したものの、塾生の嫌々やっている感が見受けられ何だかなぁと感じ、また社会人となって毎日の生活に追われ、それからは不参加状態を続けていました。

その後、2005年に毎年届けられる“会報”が届かず、どうしたことかと思い、当時の現役代表に電話をかけて確認したところ「2年に任せている。知らない。」との回答ばかり。結局その年は、初めて会報が送付されず、総会は中止でした。年が明けた2006年の1月に、前年度に送付された会報から次期現役代表と思わる人物を特定し、電話で確認したところ、サークルのメンバー数が4人しかおらず、新人の入会がKQK発足後初めてゼロということが分かりました。4人のうちの2人は慶應の外部学生で、OBOG会どころではなかったようです。次期現役代表は、自分の代でKQKを解散させることを決断していました。
この時、自分の青春時代の1ページが無くなるような気がして、とてつもない寂寥感に襲われ、その日の夜は眠れなかったです。

その後、当時の仲間3人に声をかけ、次期現役代表を含めて懇親会をしました。次期現役代表は、その場で叱責を受ける覚悟をしていたようですが、懇親会を開いた目的は、彼への“激励”です。我々3人で次期代表の活動を資金面も含めて支援することを約束し、以降、OBOG会の運営は、OBOG側で引き取ることを約束としました。サークル存亡の危機は、その意識が共有されると呼応してくれる人が出てきて、復活したOBOG会総会は大盛況でした。
その後、現役会員数が徐々に増え、昨今のクイズブームで当面は一安心の状態が続いています。その後、OBOG会は2008年に慶應義塾社中・塾員の同窓会組織である「慶應連合三田会」に加入し「クイズ研究会三田会」と改称し、現在に至っています。

総会の様子(若手OBOG中心)

――参加者の方々に事前に連絡するにあたり、意識していることはありますか?

三田会の運営を引き取るにあたり、クイズはコミュニケーションのきっかけの一つであり、年に一度は塾生時代の仲間と旧交を温める場所として総会を活用してもらうことを主たるテーマとして考えました。よって、無理に参加を強いることは求めず、丁寧に連絡を行うよう心掛けています。

以前は、往復はがきで参加可否を確認していましたが、ICT環境が改善されたことにより、電子メールでのやり取りを行い、補助的にSNS(TwitterとFacebook)を活用しています。原則、開催2ヶ月前に参加可否の一方を入れ、開催1か月前からは毎週リマインド連絡を行っています。電子メールでは、多くの会員に同報で送付するため、BCCで送信し、本文に断り書きを書くことで、迷惑メールでないことをご承知おくようにしています。

総会の様子(現役生中心)。受付などは現役生にもご協力頂いています。

――OBOG会の当日を運営するにあたり、意識していることはありますか?

三田会の役員は、会長・会長代行・代表幹事3名です。私は代表幹事を務めており、実は総会当日を迎えるまで私の役目は終わっています。当日の運営は、会長・会長代行に任せっきりです。

ただ毎年、お願いしていることはあります。
それは、“余興企画を行いその日のMVPを決めること”です。
OBOGは、社会人になりクイズに触れる機会が激減しています。早押し機に触ることで、塾生時代のあの頃を思い出してもらえます。総会の最中では、無理にOBOGと現役会員で会話をさせる必要がありません。余興企画をやることで、年代のギャップがなく、交流が深めることにもなります。やはり、余興が一番盛り上がります。

あと盛り上がるのは、カレッジソングの“若き血”の全員斉唱です。KQKと一般のクイズサークルとの違いは、クイズ以外に“慶應”というアイデンティティがあることです。総会の冒頭に、“塾歌”を歌い、“若き血”で〆る。連合三田会の総会で行われるフォーマットを踏襲することを大事にしています。

余興といえど、問題と早押し機を前にすると真剣になるのは世代を問わない。

――長年三田会やられてきた中で、「時代の流れによって変わった」ということはありますか?

インターネット環境が拡充したことにより、情報伝達手段がペーパーレス化しました。これにより事務的な運営は、最少人数で実施することが可能になり、便利な世の中になったものです。

また、長年、経済的な不況が続いてきたことにより、総会自体の格式を求めることが無くなりました。ドレスコードは廃止し、会場も庶民的な店を選び、会費はOBOGが5,000円で収まるようにしています。

また、時代に合わせたコンプライアンス遵守ということで、総会中の未成年の飲酒は禁止を徹底しています。総会の冒頭では、OBOGから未成年の塾生にアルコールを進めることを禁止するよう呼び掛けています。飲酒にまつわる事故は、OBOGのみならず、塾生の将来に大きな不幸をもたらすことになりますので、十分注意を払わないといけません。

余興企画のMVPへの賞品贈呈。

――三田会では、一年に一回の「総会」以外に、どんなことをしているのでしょうか?

総会以外に、6月にもOBOGと現役で交流会を実施しています。こちらは、現役の例会にOBOGが参加するという形式をとっており、クイズがメインです。OBOGになると指が衰えるため、リハビリにはもってこいの場ですね。
また、年に1~2回、三田会会報を発行するほか、会員名簿の最新化や、慶應義塾大学の学園祭である三田祭やクイズ慶早戦への応援の依頼など、現役会員の活動の情報提供を行っています。

――ありがとうございました!
さてKQK三田会では、総会中の「余興企画」ではクイズが飽き足らない……というOBOGに向け、総会前に集まってクイズ企画を実施します。
次回は三田会会長に、総会前のクイズ企画についてお伺いします。

【文責:神野芳治】

https://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2019/11/585f315e029aba6cb6d9e25fd14d9433-1024x576.jpghttps://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2019/11/585f315e029aba6cb6d9e25fd14d9433-150x150.jpgquizdo“やる”クイズリポートサークルリポート・大学その他リポート学生時代はクイズをやっていたけど、社会人になってクイズから離れてしまった……。 そんな人でも、たまに集まったり、飲んだりすることがある。 その一つのきっかけになるのが「OB・OG会」です。今回はOB・OG会でクイズをやっている例として、KQK(慶應義塾大学)三田会の山本匡人代表幹事に話を伺いました。 ――山本さんがクイズを始めるきっかけについてご教示ください。 幼少のころからテレビっ子で、朝から晩まで勉強をせず、テレビを見続ける毎日でした。生まれ故郷の関西では、バラエティ番組が多く放映されており、クイズに親しむ環境にはありましたが、衝撃的だったのは小学校5年生の時に見たNTV系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第2回大会2週目の放送です。何気なく眺めていたテレビから、雄大なアメリカ大陸で繰り広げられる笑いと涙の戦いを見て、大人になったらこの番組に絶対出場すると決めました。それから友人と集まって、定期的にウルトラクイズ“ごっこ”をやっていましたね。毎回毎回、私が優勝……。 慶應義塾大学への入学(1986年)を機に、晴れてクイズ研究会(KQK)に入会しました。でも、当時のKQKは自分が望んでいた場所ではなかったです。クイズ研究会なんて名ばかりで、麻雀と酒の日々。そんな環境を毛嫌いしつつも、いつしか自分も流されていました。 改めて、クイズに本格的に力を入れたのは、サークル活動の運営の立場から退いた大学4年生になった時です。社会人になると自分の時間を作ることは、中々難しいだろうと思い、一念発起しました。それから、サークル内最強決定戦である「タスキ杯」に優勝し、バラエティ系のテレビ番組に出場することが増え、何度か優勝することができました。もう少し、早く目覚めていれば、今でいうところの“競技クイズ”で活躍できていたかもしれません。 結局ウルトラクイズでは、東京ドームのグラウンドに降りるのが精一杯で縁がなかったです。自由の女神から、お叱りをいただいたということでしょう。クイズに本格的に取り組んだのは、卒業までの1年弱くらいの期間のみで後は、その時蓄えた遺産を食いつぶして、クイズ番組に出場してはいました。 ―山本さんが三田会に携わるきっかけは、どんなところだったのでしょうか? 私が大学に入学した年に、KQKは結成5年目を迎えOBOG会が発足しました。先輩の2-3年が、自分達の卒業後にも塾生(慶應では学生と言わず“塾生”と呼びます)時代の仲間との繋がりを持っておきたいと考えて、発案したようです。何のために開催するのか、多くの塾生にはその意義が理解できず結成までにはそうとう揉め、喧嘩もあり当時の雰囲気は最悪でしたが、何とかその年の12月総会を開催するに至りました。場所は、表参道にある青学会館、会費1万円でドレスコードありという格調の高さでした。 塾生(現役生)からの発案ですので、当時OBOG会の運営は塾生が担当していました。毎年10月には、OBOG会の“会報”が送付され、12月開催の総会についての案内も届いていました。卒業してから2年続けて総会に参加したものの、塾生の嫌々やっている感が見受けられ何だかなぁと感じ、また社会人となって毎日の生活に追われ、それからは不参加状態を続けていました。 その後、2005年に毎年届けられる“会報”が届かず、どうしたことかと思い、当時の現役代表に電話をかけて確認したところ「2年に任せている。知らない。」との回答ばかり。結局その年は、初めて会報が送付されず、総会は中止でした。年が明けた2006年の1月に、前年度に送付された会報から次期現役代表と思わる人物を特定し、電話で確認したところ、サークルのメンバー数が4人しかおらず、新人の入会がKQK発足後初めてゼロということが分かりました。4人のうちの2人は慶應の外部学生で、OBOG会どころではなかったようです。次期現役代表は、自分の代でKQKを解散させることを決断していました。 この時、自分の青春時代の1ページが無くなるような気がして、とてつもない寂寥感に襲われ、その日の夜は眠れなかったです。 その後、当時の仲間3人に声をかけ、次期現役代表を含めて懇親会をしました。次期現役代表は、その場で叱責を受ける覚悟をしていたようですが、懇親会を開いた目的は、彼への“激励”です。我々3人で次期代表の活動を資金面も含めて支援することを約束し、以降、OBOG会の運営は、OBOG側で引き取ることを約束としました。サークル存亡の危機は、その意識が共有されると呼応してくれる人が出てきて、復活したOBOG会総会は大盛況でした。 その後、現役会員数が徐々に増え、昨今のクイズブームで当面は一安心の状態が続いています。その後、OBOG会は2008年に慶應義塾社中・塾員の同窓会組織である「慶應連合三田会」に加入し「クイズ研究会三田会」と改称し、現在に至っています。 ――参加者の方々に事前に連絡するにあたり、意識していることはありますか? 三田会の運営を引き取るにあたり、クイズはコミュニケーションのきっかけの一つであり、年に一度は塾生時代の仲間と旧交を温める場所として総会を活用してもらうことを主たるテーマとして考えました。よって、無理に参加を強いることは求めず、丁寧に連絡を行うよう心掛けています。 以前は、往復はがきで参加可否を確認していましたが、ICT環境が改善されたことにより、電子メールでのやり取りを行い、補助的にSNS(TwitterとFacebook)を活用しています。原則、開催2ヶ月前に参加可否の一方を入れ、開催1か月前からは毎週リマインド連絡を行っています。電子メールでは、多くの会員に同報で送付するため、BCCで送信し、本文に断り書きを書くことで、迷惑メールでないことをご承知おくようにしています。 ――OBOG会の当日を運営するにあたり、意識していることはありますか? 三田会の役員は、会長・会長代行・代表幹事3名です。私は代表幹事を務めており、実は総会当日を迎えるまで私の役目は終わっています。当日の運営は、会長・会長代行に任せっきりです。 ただ毎年、お願いしていることはあります。 それは、“余興企画を行いその日のMVPを決めること”です。 OBOGは、社会人になりクイズに触れる機会が激減しています。早押し機に触ることで、塾生時代のあの頃を思い出してもらえます。総会の最中では、無理にOBOGと現役会員で会話をさせる必要がありません。余興企画をやることで、年代のギャップがなく、交流が深めることにもなります。やはり、余興が一番盛り上がります。 あと盛り上がるのは、カレッジソングの“若き血”の全員斉唱です。KQKと一般のクイズサークルとの違いは、クイズ以外に“慶應”というアイデンティティがあることです。総会の冒頭に、“塾歌”を歌い、“若き血”で〆る。連合三田会の総会で行われるフォーマットを踏襲することを大事にしています。 ――長年三田会やられてきた中で、「時代の流れによって変わった」ということはありますか? インターネット環境が拡充したことにより、情報伝達手段がペーパーレス化しました。これにより事務的な運営は、最少人数で実施することが可能になり、便利な世の中になったものです。 また、長年、経済的な不況が続いてきたことにより、総会自体の格式を求めることが無くなりました。ドレスコードは廃止し、会場も庶民的な店を選び、会費はOBOGが5,000円で収まるようにしています。 また、時代に合わせたコンプライアンス遵守ということで、総会中の未成年の飲酒は禁止を徹底しています。総会の冒頭では、OBOGから未成年の塾生にアルコールを進めることを禁止するよう呼び掛けています。飲酒にまつわる事故は、OBOGのみならず、塾生の将来に大きな不幸をもたらすことになりますので、十分注意を払わないといけません。 ――三田会では、一年に一回の「総会」以外に、どんなことをしているのでしょうか? 総会以外に、6月にもOBOGと現役で交流会を実施しています。こちらは、現役の例会にOBOGが参加するという形式をとっており、クイズがメインです。OBOGになると指が衰えるため、リハビリにはもってこいの場ですね。 また、年に1~2回、三田会会報を発行するほか、会員名簿の最新化や、慶應義塾大学の学園祭である三田祭やクイズ慶早戦への応援の依頼など、現役会員の活動の情報提供を行っています。 ――ありがとうございました! さてKQK三田会では、総会中の「余興企画」ではクイズが飽き足らない……というOBOGに向け、総会前に集まってクイズ企画を実施します。 次回は三田会会長に、総会前のクイズ企画についてお伺いします。 【文責:神野芳治】クイズに興味を持った方・初心者の方からベテランまで! ”やる”クイズ支援サイト