企画などで問題が必要、しかし問題集もお金もない……そんなとき強い味方になるのが問題掲載サイト。
今回は老舗の問題掲載サイト『クイズの杜(もり)・問題リンク&ダウンロードサイト)』の市川尚志(いちかわ・たかし)さんに話を伺いました。

「クイズの杜」トップページ。

今回は、まず管理人の市川さんのクイズ経歴から。

――今回、取材に応じて頂ける方のお名前を教えてください。

市川尚志と申します。浦和高校クイズ同好会 → 早稲田大学クイズ研究会 → 玉Q などの社会人サークルでクイズをしてきました。

――まず、取材に応じて頂ける方ご自身についてお伺いします。もともとクイズに興味を持ったきっかけってどんなところだったんですか?

40に近いクイズ大好きおじさんが、今さら回答することに意味があるのかわかりませんが、今からクイズを始める人の参考? になる可能性を信じ、答えます。
クイズに興味を持ったのは、この世代では定番ともいえる『アメリカ横断ウルトラクイズ』でした。問題を書き起こすとかそういうことまではしてなかったですが、小学校時代は木曜日夜番組が始まるのを毎週心待ちにしていました。

本格的に今やるような早押しクイズ中心のクイズを始めたのは高校時代ですが、ちょっと普通の人と違うスタートをしたなと思っています。当時の浦和高校にはできたばかりのクイズ研があったのですが、当時の自分は思うところがあってクイズ研には入らず、別の部活動(落研)をやっていました。が、1年生の終わりごろ、その部活動の同期が「今日クイズ研、一緒に行かない?」と誘ってきて、遅ればせながら参加してみました。

その時がたまたま『ウルトラクイズ』を模した大型企画で、運の要素もあってまあまあ勝ち上がって、初の早押し正解までできちゃったんですよね。確か正解したのは「ダスゲマイネ」だったかな……というのはさすがに嘘です。いずれにしても、「こんな風に『ウルトラクイズ』の疑似体験ができるなんて、面白いなぁ」と思って、クイズが好きだという素直な気持ちに従って、兼部でクイズ同好会にも入ることになりました。

――それでクイズにはまったと。

いや、実はその時点ではそうでもなかったんです。
その時参加した企画がピンポイントでたまたま面白かっただけで、自分が入った直後の浦和高校クイズ研は「アニメカルトクイズ」が主流の同好会だったんですよ。当時、国府田(こうだ)マリ子とか『レイアース』とか、全然興味がないのに答えるために覚えたりしましたし、対策のために文化放送の深夜ラジオを聞いたりしましたが(笑)、周りが盛り上がっている様子とは裏腹に、クイズがつまらなくなっていたわけです。
自分にとって、クイズの情報は「浦和高校クイズ研」と『高校生クイズ』以外なかったわけですから、もう選択肢がなかったんですよね。

そんな時に、「『埼玉連合』とかいう案内が手紙で来ているけど、行く奴いる?」って部長が言ってきて、「休日は『ロマサガ』やりたいけど、ちょっと行ってみるか」とたまたま顔を出したわけです。そこで企画をやっていたのは現・放送作家の矢野了平(同期)やら、当時の埼玉のやる気がある面々。参加した企画がむちゃくちゃ面白くて、「いや、外でクイズやっている人はこんな面白いんだ……」と思って。
話していると、「“次の会”では“上田先生(上田洋一さん。「連続クイズ!ホールドオン」親子大会11回勝ち抜き)”が楽しい企画をやっているぞ」とか、「大学では“前フリ長文クイズ”が流行っている」とか、「神奈川には“神野さん”というのがいて……」とか、いろいろな情報が入ってきました。「クイズっていろいろあって楽しいぞ」「クイズ界っていろいろあって楽しそうだぞ」と思って、大学でもクイズを続けようと思ったわけです。

――自分の名前を勝手に出されると焦るのだが。というか、クイズの杜から離れてきたのだが。(注)

ちょっと話を戻しましょうか。その頃、矢野らが主催し自分も参加した『春日部高校オープン』という大会があって(自分のオープン大会初参加、当時は高校生以下のクイズスケジュール何てなかったので掲載されてませんが)、これもかなり楽しかったのです。それで、その後に問題集化された冊子がむちゃくちゃ面白くて。もちろん、アニメカルト問題なんてほとんど載ってない(笑)。でも、その時自分はもう高3で、クイズの勉強は今さらできなくなっていたわけです。「こういういい問題集がもっともっと早く手に入っていれば、自分は高校時代もっとクイズ楽しんで強くなっていただろうな……」って思ったわけです。

それが、『abc』創設時に使用問題を当日その場で配る方針にしたことや、後にさまざまなクイズをかき集めた『クイズの杜』の運営とか、そういう発想につながっていったかもしれません。……話を本筋に戻しましたよ!

――せっかく本筋に戻して頂いたのはいいのですが、今回は残念ながらスペースの都合がありあとは次号にお願いします。

……なお(注)のところの質問、インタビュアーの発言を自作自演して持ってくる方初めて見たのだが!
(注:「~だが」は、市川さんが神野の物真似をするときによく使う表現です。自作自演で質問を作ってきたのはこの部分だけで、あとは全て実際に神野がしている質問ですので念の為!)

【文責:当時神奈川にいた神野芳治】

https://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2017/08/quiznomori1-1024x316.jpghttps://quiz-schedule.info/quizdo/wp-content/uploads/2017/08/quiznomori1-150x150.jpgquizdo問題問題掲載サイト企画などで問題が必要、しかし問題集もお金もない……そんなとき強い味方になるのが問題掲載サイト。 今回は老舗の問題掲載サイト『クイズの杜(もり)・問題リンク&ダウンロードサイト)』の市川尚志(いちかわ・たかし)さんに話を伺いました。 今回は、まず管理人の市川さんのクイズ経歴から。 ――今回、取材に応じて頂ける方のお名前を教えてください。 市川尚志と申します。浦和高校クイズ同好会 → 早稲田大学クイズ研究会 → 玉Q などの社会人サークルでクイズをしてきました。 ――まず、取材に応じて頂ける方ご自身についてお伺いします。もともとクイズに興味を持ったきっかけってどんなところだったんですか? 40に近いクイズ大好きおじさんが、今さら回答することに意味があるのかわかりませんが、今からクイズを始める人の参考? になる可能性を信じ、答えます。 クイズに興味を持ったのは、この世代では定番ともいえる『アメリカ横断ウルトラクイズ』でした。問題を書き起こすとかそういうことまではしてなかったですが、小学校時代は木曜日夜番組が始まるのを毎週心待ちにしていました。 本格的に今やるような早押しクイズ中心のクイズを始めたのは高校時代ですが、ちょっと普通の人と違うスタートをしたなと思っています。当時の浦和高校にはできたばかりのクイズ研があったのですが、当時の自分は思うところがあってクイズ研には入らず、別の部活動(落研)をやっていました。が、1年生の終わりごろ、その部活動の同期が「今日クイズ研、一緒に行かない?」と誘ってきて、遅ればせながら参加してみました。 その時がたまたま『ウルトラクイズ』を模した大型企画で、運の要素もあってまあまあ勝ち上がって、初の早押し正解までできちゃったんですよね。確か正解したのは「ダスゲマイネ」だったかな……というのはさすがに嘘です。いずれにしても、「こんな風に『ウルトラクイズ』の疑似体験ができるなんて、面白いなぁ」と思って、クイズが好きだという素直な気持ちに従って、兼部でクイズ同好会にも入ることになりました。 ――それでクイズにはまったと。 いや、実はその時点ではそうでもなかったんです。 その時参加した企画がピンポイントでたまたま面白かっただけで、自分が入った直後の浦和高校クイズ研は「アニメカルトクイズ」が主流の同好会だったんですよ。当時、国府田(こうだ)マリ子とか『レイアース』とか、全然興味がないのに答えるために覚えたりしましたし、対策のために文化放送の深夜ラジオを聞いたりしましたが(笑)、周りが盛り上がっている様子とは裏腹に、クイズがつまらなくなっていたわけです。 自分にとって、クイズの情報は「浦和高校クイズ研」と『高校生クイズ』以外なかったわけですから、もう選択肢がなかったんですよね。 そんな時に、「『埼玉連合』とかいう案内が手紙で来ているけど、行く奴いる?」って部長が言ってきて、「休日は『ロマサガ』やりたいけど、ちょっと行ってみるか」とたまたま顔を出したわけです。そこで企画をやっていたのは現・放送作家の矢野了平(同期)やら、当時の埼玉のやる気がある面々。参加した企画がむちゃくちゃ面白くて、「いや、外でクイズやっている人はこんな面白いんだ……」と思って。 話していると、「“次の会”では“上田先生(上田洋一さん。「連続クイズ!ホールドオン」親子大会11回勝ち抜き)”が楽しい企画をやっているぞ」とか、「大学では“前フリ長文クイズ”が流行っている」とか、「神奈川には“神野さん”というのがいて……」とか、いろいろな情報が入ってきました。「クイズっていろいろあって楽しいぞ」「クイズ界っていろいろあって楽しそうだぞ」と思って、大学でもクイズを続けようと思ったわけです。 ――自分の名前を勝手に出されると焦るのだが。というか、クイズの杜から離れてきたのだが。(注) ちょっと話を戻しましょうか。その頃、矢野らが主催し自分も参加した『春日部高校オープン』という大会があって(自分のオープン大会初参加、当時は高校生以下のクイズスケジュール何てなかったので掲載されてませんが)、これもかなり楽しかったのです。それで、その後に問題集化された冊子がむちゃくちゃ面白くて。もちろん、アニメカルト問題なんてほとんど載ってない(笑)。でも、その時自分はもう高3で、クイズの勉強は今さらできなくなっていたわけです。「こういういい問題集がもっともっと早く手に入っていれば、自分は高校時代もっとクイズ楽しんで強くなっていただろうな……」って思ったわけです。 それが、『abc』創設時に使用問題を当日その場で配る方針にしたことや、後にさまざまなクイズをかき集めた『クイズの杜』の運営とか、そういう発想につながっていったかもしれません。……話を本筋に戻しましたよ! ――せっかく本筋に戻して頂いたのはいいのですが、今回は残念ながらスペースの都合がありあとは次号にお願いします。 ……なお(注)のところの質問、インタビュアーの発言を自作自演して持ってくる方初めて見たのだが! (注:「~だが」は、市川さんが神野の物真似をするときによく使う表現です。自作自演で質問を作ってきたのはこの部分だけで、あとは全て実際に神野がしている質問ですので念の為!) 【文責:当時神奈川にいた神野芳治】クイズに興味を持った方・初心者の方からベテランまで! ”やる”クイズ支援サイト